自分が何を考えて音楽制作をしているのか、ちょっと整理したいと思いメモします。
僕の周りにはメジャーとは呼べないけどたくさんの優れたアーティストがたくさんの楽曲をリリースし、あるいはライブで歌っています。ライブハウスにいくとグッとくるアーティストが実はたくさんいます。でも500-1000枚のプレスを一生懸命売っているアーティストを見ていると実力はあるのに突破口がない感じに僕は悶々とします。どのひともまあまあいい、CDを出している、ライブも下手ではないし楽曲も形にはなっているのにどこか売れない感があるのはなぜか、これ売れるぜ感が弱いのはどう考えたらいいのか・・。
広い意味で音楽業界のいいところは音楽の多様化、自由に作り、好きなものを歌えるようになったこと。で、ダメなところは、音楽スキルがあるアーティストが食えないこと、そこまで多様な音楽を吸収出来るユーザー(広告ユーザー、企業、リスナー、シーン、モードなど)を育てられなかったこと、音楽がなければ困るような生活観を持つ層を上手に広く育てられなかったことなどだと思います。また、音楽が多様化しているにもかかわらず狭い範囲が広告宣伝されユーザーが音楽を選ぶ範囲が逆に狭くなっています。
アーティストの数だけ多様な音楽があるとして、その多様性をリスナーが吸収できないとしたらどうしたら少しでも浸透するようになるんだろう、みたいなことを考えました。
これはその思考のまとめ(途中)です。根拠の明示がユルユルですがいずれ例なども追記しつつ修正加筆したいと思います。
<音楽の意味の変遷について、音楽がうまく回っていた80年代までとそれ以降について考察する>
7-80年代のPopsではファンは「生きざま」「考え方」などに共感してそれを共有しようとした
・聴き心地よりも、言葉・思想
・「私はこう思う」「私はこう生きる」という『スタイル』のようなものに共感
・音楽はファッション・モードであり、若者をリードするものであった
・音楽が「文芸」であり歌詞にも文芸的なものも多く「詩」あるいは「物語」的であった
e.g. 荒井由実、さだまさし、五輪真弓(少女)
・音楽を聴くことを通じての疑似体験の存在
e.g 松任谷由実はOLを模写したり、恋愛のスタイル、理想を歌った
中島みゆきは道に倒れて愛する人の名前を呼び続けた
・「私もそうなれるかも」という個人的な憧れを誰もが(こっそり)抱くことができた
・音楽からアーティストの人柄のようなものを想像した
・映画のように映像を思い浮かべられるものもあった
e.g.イルカ etc
・音楽番組があった
・音楽制作者作者は洋楽を思想・モード/スタイル的にリスペクト
e.g.ボブディラン・ビートルズ
・音楽番組があった
・音楽制作者作者は洋楽を思想・モード/スタイル的にリスペクト
e.g.ボブディラン・ビートルズ
☆音楽を買う・持ち歩く理由は「自分にとって価値のある思想、自分を勇気づけるもの」
「そこから想像力を働かせることができるもの」を自分のそばにおくことだったと推測
80年代後半から音楽番組が激減、90年代後半から2000年になって「応援」ソングの時代になる
・「心配ない」「君は君のままでいい」「君の花を咲かせよう」
・音楽がみんなのもの、リスナー・ファンも歌う時代に
e.g.ドリカムなど
・歌唱力偏重(カラオケの台頭)
・悩みや辛さは直接歌わない傾向
・疑似体験、私らしいスタイル、私小説的な部分が極端に表現されなくなる
・音楽への窓口が絞られ「私のための音楽」に出会いにくくなった
・バンドブームが起きているんだけども・・(要考察)
・音楽への窓口が絞られ「私のための音楽」に出会いにくくなった
・バンドブームが起きているんだけども・・(要考察)
☆音楽をを買う・持ち歩く理由は「友人たちと共有できる思想」をシェアすることに変化したと推測
2000年以降、「思想」「オリジナルな考え方」よりも「かわいい」「かっこいい」などライトな「キャラ」
視点が購買のきっかけになる
・AKB・ジャニーズ、音楽ではなくシンガーやユニットの「キャラ」が重視
・おもにR&Bなど歌唱力(風)な部分を売りにする風潮
・HipHop分野などで「感謝」の言葉が増産される
・音楽がバラエティー文化に統合され、「個人性」「特殊性」は表現されない
・明るさ、楽しさ偏重
・音楽とアーティストの人柄は乖離(おまえに言われたくない場合も多く)
・表現者を選ばない楽曲/歌詞
・リリース数が絞られ多様性を欠き「私のための音楽」が無くなった
・バンド人口は増えているんだけども・・(要考察)
・リリース数が絞られ多様性を欠き「私のための音楽」が無くなった
・バンド人口は増えているんだけども・・(要考察)
☆仮に思想に共感してもアーティストの人柄に共感することができないので音楽を所有する理由が希薄化したと推測
企業までが稚拙なC.I.(e.g.ユルキャラの台頭)を付けたように広告表現全般が幼児化したと思われる
ここまでのまとめ:
音楽購買の価値は「自分のため」から「みんなと楽しむため」に変化したことで、もしも「思想」が合致してもメジャーでない作品を購買しなくなった。音楽は「感じて想像して楽しむ文化」から「できあいのキャラのシェア」あるいは友人とのおつきあいツールに変化していった。
=====ここからはイマジネーション=====
いったん、2000年代がダメな時代と仮定して、いま必要なことがなにかを考えてみる
・音楽をもっと私的に、自分(聴き手)だけのためにしてあげるといいかもしれない
・何回もイヤフォンで聴いてほっとする、癒される、一緒にいたい音楽が必要なのでは?
・表現者は思考ロジック=生き方のようなものをシェアしたほうがいいのではないか
・「音楽」は仮の姿であり、時間を共有したい親友であるべきではないか
・表現が「個人的」であるほど大切な親友になるのではないか
・シンパシーを持ちたいのではないか
<浸透の条件:どんな音楽がリスナーの側に置いてもらえそうか→いつも聴きたい>
・「私」になにかをくれる、そうなりたいと思う、「私」を理解してくれている言葉
・「私」が普段言わないけど思っている事を的中したもの
・作品を聴くことで表現者が見えてくるもの
・ずっと聴いていたい心地よさ
・人が生きるにあたり、まちがったことを言わないもの
・表現者も葛藤しているのがわかること、リアルな気持ち、気持ちの変化→生きる上で共感を呼ぶ
・強い意志を感じるもの
・「私はあなたの理解者である」ことを聴く間に理解させ共感させるもの
・「思考の過程」をオープンにしたもの=考え方=ややプライベートの吐露感
・表現者も痛い思いをして頑張ってそれを言ってくれた感のあるもの→表現者に感謝、シンパシー
・リアリティーを「共感」でき表現の技術などに「尊敬」できるもの
・本当は寂しがりや、人なつっこさなどを感じさせるもの
・辛さや切なさ、泣くような思いを事をがんばって表現しているもの
・思考途中のもの『なのかもしれない』→『そうだよ、そのとおりだよ』と動機
・「かっこいい!」と思えるような人生(らしきもの)を見せてくれるアーティストが行う音楽←この例はライブハウスで顕著
・結論は同じでも気持ちやロジックはパーソナルであることを理解表現するもの
・「かっこいい!」と思えるような人生(らしきもの)を見せてくれるアーティストが行う音楽←この例はライブハウスで顕著
・結論は同じでも気持ちやロジックはパーソナルであることを理解表現するもの
<愛されたとしても所有しない→いつでも聴くわけではない音楽>
・単に状況をおもしろく表現しただけのもの。
・極端なアート、ライブだから成り立つものは日常とマッチしない
→物販としては最高であるが
・既出な表現を多用しているものは稚拙に思われる
・「心配ない」「君は君のままでいい」「君の花を咲かせよう」「感謝」を歌うもの
→ただしファッション性、オリジナリティーが伴えば可能性あり
・表現手法(キャラクター)や技が強く影響してこそなりたつ作品
・おもしろいけどシニカルや奇抜であるもの
・みんながすでにシェアしてる感のあるもの
・あたりまえなことをあたりまえに言っているもの
・このひとは結局弱い人間であると感じるもの
・装飾が多く人柄を感じられないもの
・答えや結論だけを言うもの
イマジネーション部分のまとめ:
・カラオケでは明るい、元気になる系の歌を歌うかわりに、個人では個人を癒す音楽が
望まれているのではないかと思う。
・音楽にお金を払うのではなく、音楽を作ってくれたそのひとと一緒にいるためにお金を払いたいのかもしれない。
・楽曲ではなく、表現者のストーリー、表現者がエグく語ってくれたこと=擬似的に
プライバシーを公開してくれていることを(お金を払って)自分のものにしたいかも
・「私はあなたの理解者である」ことを聴く事で理解させ共感させるもの
【自分はどう思うか再び】
ここまで書いて、自分はどんなものを買いたいかをもう一度考えます。
自分は買うならその表現をずっと聴いていたい、表現しているひとと一緒にいたいものなんじゃないかと思いました。どういう場合に大好きになるのかというと恋愛と同じで、魅せて、心を開いて、腹を割って、思いやることかな。それ、またはそのフリを音楽表現でどこまでできるか、なのかなぁ、とか。そういう音楽ならいつでもイヤフォンで聴きたいな。音楽というかそのアーティストともにいたいというか、親友になれるというか、感謝してしまうというか。
いまでは音楽のリリースのうちラジオやテレビで出会える可能性の高い音楽が減ってしまっているので(旧譜を合わせてダウンロードをカウントに入れれば減っていない=それでいいと思ってるからこれが大問題なんですけど、それは置いておいて)、だから個性に出会えないのはもちろんあります。これは実はライブハウスに行くと出会えるんですけどね。。
はっきりした結論は出ませんでしたが思考の道筋がすこし見えたところで今回はここまでにします。
藤木はこんな思考で制作をしています。
ご精読ありがとうございます。